2014年02月25日

越後の龍 上杉謙信 その13

宿敵 武田信玄が駿河国今川家に侵攻した事により上杉輝虎(謙信)を取り巻く状況が大きく変わってきます。

上杉謙信3.jpg
                 上杉謙信像

織田信長に擁立されて新しく将軍になった足利義昭からも上杉輝虎は、関東管領に任命されます。 突如、椎名康胤武田信玄に通じて反乱を起こします。 輝虎は、越中制圧の為に長年対立していた越中国の一向一揆と戦った。(放生津の戦い) これを機に不満を持っていた揚北衆の本庄繁長は、信玄の誘いに乗り謀反を起こします。 これでは越後国に帰国せざるを得ず輝虎は、まず繁長を支援する出羽国 尾浦城主 大宝寺義増を降伏させます。 この謀反に合わせ武田軍は上杉家の北信濃 飯山城を攻撃するが撃退され、繁長は孤立無援になります。 本庄城を包囲されよく凌いだが限界にきて繁長は、蘆名盛氏伊達輝宗の仲介を受けて嫡男 本庄顕長を人質として差し出して帰参を許された。(本庄繁長の乱) この戦いで上杉家は、出羽庄内地方を手にする

甲相駿三国同盟を破って信玄は、今川家に侵攻して本拠地 駿河城を攻略する。この事により北条氏康は、小田原城が危うくなり信玄と激しく対立します。 そして、東に里見家・北に上杉家・西に武田家と三方向に敵を抱え苦くなり氏康は、輝虎に和睦を請いました。 これに対し輝虎は否定的であったが臼井城の戦い以降、多くの関東諸将が北条方へ降り、西上野の武田家の支配、常盤国 佐竹義重が関東進出を狙い輝虎と対立、直臣 北条高広が北条方へ離反、などにより関東での上杉家の所領が著しく減っていました。 これに加え度重なる関東出兵で疲弊した家臣達からの不満と北条氏照に攻撃包囲されている上杉方の関宿城を救う為に輝虎は、和議を受けるか考えます。 そして、勢力拡大している信玄への牽制もあって関東を賭けて激しく争っていた氏康と同盟を結びました。(越相同盟)

この同盟によって氏照は関宿城から撤退し、両家の勢力範囲が定められて上野国の北条方の豪族は輝虎に降り、輝虎は北条氏の擁する足利義氏を古河公方として認め、北条家は輝虎の関東管領を認めた。 そして、高広は帰参を許され、上杉家家臣 柿崎景家の子 晴家が人質として北条家へ、氏康の七男 北条三郎(上杉景虎)は輝虎の養子となった。 しかし、反北条勢力の関東諸将は輝虎に不信感を抱き、里見家は上杉家との同盟を破棄して武田と同盟し北条家と敵対し続けた。

輝虎は、将軍 義昭の入洛を祝し、信長に鷹を贈っている。

輝虎としては関東管領として関東平定を進めたかったのでしょう。しかし、劣勢で厳しい状況がこれを許さず、ぐっと我慢して同盟に応じたように思います。 それから輝虎は、信玄の執拗な調略で越中国の制圧に忙殺されていきます。
では次回に続きます。


posted by つきとら at 22:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 上杉謙信 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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